蘭坪普米族(プミ族/Pumi)の葬送儀礼についての中間報告
飯島 奨

 2019年8月17日、中国雲南省蘭坪ペー族プミ族自治県河西郷聯合村坪登でのプミ族の葬送儀礼に参与観察した。その際シビィエ(「释别」或いは「师别」と表記、又は研究書では「释毕」という表記もある)と呼ばれる祭祀者の葬送歌に注目し撮影した。葬送歌とは死者の魂が無事に祖先の地へとたどり着けるように葬送儀礼で歌われる歌の意で、筆者の造語である。プミ族の葬送歌の場合、中国語では「指路经」と訳される。その後、その葬送歌をプミ語から中国語に翻訳し、中国語訳と日本語訳を記して「葬送歌及び歌資料」を作成した(『アジア民族文化研究』第22号に掲載)。葬送歌は経典などなく、全てシビィエの頭の中にある。そして葬送歌はシビィエと彼をサポートする6名の男たちによって歌われる。内容は「清め」「災いを取り除く」「棺について話をする」「衣服に印をつける」「羊を選ぶ」「羊に食事を与える」など様々な局面がある。
 また「羊に食事を与える」儀礼では、死者の娘たちによる哭き歌が行われる一方、出棺時には死者の息子たちによる哭泣が行われる。
 以上、葬送儀礼の一部分を映像により報告する。

アジアにホメロスはいたか
遠藤 耕太郎

 ウォルター・J・オング『声の社会と文字の社会』は、声の文化と文字の文化の思考様式や表現様式の違いに注目した文学研究、文化研究は、アメリカの古典学者ミルマン・パリーの、ホメロス叙事詩のテキスト研究に始まるという。
 『イリアス』と『オデュッセイヤ』は、「語や語形の選択が(〔文字にたよらず〕口頭で組み立てられる)六脚韻hexameterの詩行という形態に左右され」、再三にわたって「きまり文句formula」が繰り返されている。パリーはそれが当時の口誦の叙事詩の作り方、すなわち、あらかじめ出来あいの部品を「綴り合わせる」方法によったものであることを、ユーゴスラヴィアの口誦叙事詩の歌い手(吟遊詩人)の演じ語りの調査によって明らかにした。パリーの研究を引き継ぐアルバート・B・ロードは、そうした「きまり文句」が同じく紋切り型のテーマの周辺に集まっていることを、吟遊詩人たちの演じ語りと、長時間のインタビューによって示し、パリー理論を補強した。
 パリー、ロード理論はその後、オング、ハヴロック、グティらの研究によって、魔術から科学へとか、「前論理的」意識から「合理的」意識へとか、「野生の」精神から飼いならされた思考へといった、〔知の〕転換について言われてきた構造の転換を、声の文化から文字の文化への転換として説明した。
 こうした研究はその後、文字がもたらす変化は、それぞれの地域における社会的・文化的・歴史的・制度的コンテクストに応じて多様に、複雑に起こっているという視点を含み込んで今日に到っている(梶丸岳(「リテラシーとオラリティを複数化する――声の文化と文字の文化の大分水嶺を越えて」)。
 ところで、オングは声の文化の思考と表現の諸性格について、それまでの研究成果を集成しつつ、(1)累加的、(2)累積的、(3)冗長な言い回し、(4)保守的、(5)生活世界に密着、(6)闘技的、(7)感情移入的、(8)恒常性維持的、(9)状況依存的であるとまとめている。
 これらの諸性格は、主に西洋やアフリカの口誦の叙事詩の分析によって導かれたものである。にもかかわらず、アジアの歌掛け(交互に歌い合う歌文化)の性格と、驚くほど多くの面で共通する。ただし、一人で演じ語りする声の叙事詩と、複数の歌い手による歌掛け歌とではおのずと相違点も出てくる。本発表ではその共通点と相違点を、具体例をあげつつ報告する。