大理州雲龍県の踏喪歌(白族)の構造
山田 直巳
雲龍県永香村での調査に基づき、映像の一部を見ていただきながら、その構造について考えてみたい。ここでの葬送儀礼の展開は、踏喪歌に至るまでの儀礼と翌日の野辺送りの儀礼に分かれる。踏喪歌は、翌朝の朝七時頃に野辺送りの出棺儀礼(道士の祭文唱え)が行われる直前まで続けられるのを原則とする。踏喪歌はわれわれの通夜儀礼に匹敵する儀礼内容で、前日の夜八時くらいから始まり、「通夜」の文字通り朝まで歌い続けられる。 歌い手たちは、焚き火を間において、その両側に向かい合って10人前後が並び、歌うときのみ立ち上がる。片側に一人ないし二人のグースー(歌師)がつき、そのリードによって揃って歌う。歌い終わると着席し、反対側の列の人々が立ち上がり、そちら側のグースーにリードされて歌う。これの応酬がほぼ12時間近く続けられるのである。 内容は、死者に対し孝養を尽くしたか、その程度はどうか、村人たちはそこで語られる内容に納得できるか、など双方が応酬する形で歌う。非難がましく追及するように歌うと、反対の列はあたかも取り成すように歌い、バランスをとるようにする。最後は、自分たちの祖先がこの雲龍までやって来たプロセスを逆にたどり始発の南京に戻って終了(指路経)。
ヤ=ムンの死 中国雲南省滄源ワ族の葬送儀礼
乾 尚彦
2010年夏、滄源の病院に入院していたヤ=ムンは、生まれ故郷のヤオン=ルン村に帰ってきた。快復の見込がないからだ。2010年11月4日朝、ヤ=ムンは住み慣れた自宅で静かに息をひきとった。 村は南方上座部仏教の普及地域にあるが、ワ族における仏教の歴史は新しく、また地域化したものであり、村のすべての行事は在来の宗教指導者と仏教の指導者の二名が担っている。一連の葬儀は13日まで続いたが、故人の家が村の有力な家だったこともあり、簡略な場合には省略される殯の際の歌舞、故人を最終的に送る際の柱建て儀礼もおこなわれた。歌舞といっても、身体表現は足を踏みならしながら反時計回りに進むだけのもので、かつてはワ族の慣習家屋の柱のまわりをめぐるものだった。これらの一連の儀礼をみることで、ワ族が死者をどのように扱い、また霊魂をどのように認識しているかを理解することができる。本報告では、この時の喪葬儀礼を、映像を中心に紹介する。