【発表要旨】
中国西南地域の起源神話と『風の谷のナウシカ(漫画版)』『エヴァンゲリオン』を読む―神々の人類リセット願望とそれに抗する物語―
岡部 隆志
世界中に広がる起源神話のモチーフに洪水神話がある。洪水によって人類が滅亡するが、選ばれた一握りの人間が生き残り新たな人類の世を始めるというパターンだが、神(あるいは神々)による最初の人類創造が上手くいかず洪水によって人類創造をやり直す(リセットする)と語られることが多い。このような神話を「リセット神話」と呼ぶことが出来るが、このような人類のリセットの物語は、近未来のSFファンタジーのモチーフとして多く描かれている。本発表では、宮崎駿『風の谷のナウシカ』(漫画版)、庵野秀明『エヴァンゲリオン』を扱い、このモチーフが、リセットに抗する物語として展開されていることに注目したい。一方、中国西南地域の山岳に住む苗族やイ族の起源神話(洪水神話を含む)に神々に抗する物語が描かれていることに着目し、宮崎駿や庵野秀明の描くリセット神話と重ねて考察してみたい。
シャーマンと起源神話
大胡 太郎
沖縄のシャーマンとしての「ユタ」のなかにはアマテラスを自己の守護神や導き手と考えているユタは多い。日本の起源神話でのアマテラスには、そもそも伊勢と宮中に「同時」に存在していたし、また平安中期には民間信仰としてのアマテラスが京内外に確認される。アマテラスが起源を徴づける神として、多様多層な宗教者、シャーマンに、並行的同時的に降りて来るということなのだろうか。
しかし沖縄ユタがアマテラスを祀る時、それは日本国家と葛藤や対立を起こし「政治」化することになる。事実、私は沖縄でのフィールドワークでユタに出会った時、「あんたたち(日本人)のアマテラスは間違っている。沖縄にあんなに戦さ(沖縄戦)の哀れさせて」と痛烈に批判されたことがある。
起源としてのアマテラスという神多元化、多チャンネル化することの意味と歴史という面から、与えられた「起源神話と現代社会」という全体テーマの中で「シャーマンと起源神話」を考えてみたい。
センザンコウから覗く〈世界〉―民族社会と共生論―
北條 勝貴
地球環境問題が深刻化し、人類の文明のあり方が問われるようになって久しいが、われわれはかつてのように、楽観を誘うオルタナティヴを持ちえていない。ただし、他の生命との共生が叫ばれるときには、一貫して神話や伝承など、前近代社会・民族社会の価値観・考え方が〈召喚〉されている。その到来がグリーン・リカバリーを〈予言〉したCOVID-19のパンデミックも、先住民社会への求心力を加速した。彼らは、他の動植物との理想的な交渉を実現していた/している、とみなされているのである。しかしSARS-CoV-2が、アフリカや東南アジアでのブッシュ・ミート問題を起源に持つように、民族社会は決してエデンの園ではない。ウィルス宿主のひとつとみなされるセンザンコウは、絶滅危惧種でありながら現在最も取引される野生動物だが、密猟・密輸の目的である漢方薬=鱗甲は、すでに六朝時代から〈素材〉として採取されていた。動植物の〈素材化〉は、いま危殆に瀕するわれわれの社会と、前近代社会、民族社会とでは、どのような相違点・共通点があるのだろうか。われわれが先住民社会に危機回避のヒントを求めることは、単にオリエンタリズムの設けた陥穽に過ぎないのだろうか。パブリック・ヒストリーの観点も踏まえて考えてみたい。